違和感の正体

急に実家にいることへの違和感を覚えた。何かが明確に変わった訳では無いのだが、何か嫌だ。これは親が悪い訳でも無いし、誰も悪くないと思う(強いて言えば自分なのだろうが)。

自分でできることにも親が介入している。とても優しい親なのだ。本当に良い親なのだ。だからこそ、自分自身の自主性が損なわれていると思う。

そして、今日。とある出来事から私は親を過信しすぎていたなと実感した。何かあれば親は手を差し伸べてくれるし、促してくれる。そこに自分の意思は殆ど介入しない。

だから自分で何かをしようという気になれなかった。まあこれは私の元々の自主性が著しく欠けていたことの表れでもある。だから、親が悪いとは決して思えない。似たような環境下でも自主性を育むことができる人もいるはずだ。

親に迷惑をかけたくないという気持ちは人一倍強かったのも一つの要因かもしれない。だからこそ、変に気を遣っていた部分があった。食事は遅くても一緒に食べるとか。先に食べていてもいいよと言われても何故かそれを守っていた。そっちの方が親も嬉しいだろうなと思っていたからだ。

この文章を書く前に親は外出したが、夕食もある程度用意しておいたようだ。私は米を炊くだけ。ギリギリ自主性を与えられながら生かされている。

それでも、親が独りで食事をしているであろう食器の音は私の自室がある2階からは無性に惨めに聞こえた。普段は基本的に一人なのにね。不思議。

そして無意識的なんだろうけど、親は自分の経験則を当てはめようとしているんじゃないかとも思う。例を挙げると中国製の食器はダメ!日本製が良い!とか。日本製が良いという事実は分かっているが、中国製の食器をそもそも使用したことが無いため何故ダメなのかというエビデンスを実体験できていない。だから、元々ある石橋を事前調査して渡らせてくれるような感覚だ。

そういうのが20年以上蓄積されたが故にこういう性格になってしまったんだろうなと。単純に合わなかっただけだと思う。普通に良い親だと思うし、感謝しかない。ただ、理想的な親に見えるからこそ、今の自分が酷く劣っているようにも感じる。

親のために自分は殺せないという事実に今更ながら気づいた。