読んだ後の何とも言えぬ感じはどう表せばいいのだろう。不快とか嫌悪感とまではいかないがモヤモヤするこの感じ。ハッピーエンド風に終わっているが、大団円という感じでもない。
ナツを取り巻く周囲の人間がみんないい人すぎるが故に、ナツの自己保身的な性格がより一層浮き彫りになっている。
ナツはちーちゃんのことを自分と同じように「足りない人間」とし、同族意識を持っているが本当に足りなかったのだろうか。
確かにちーちゃんはクラスメイトの旭だったり、奥島のような客観的に見れば優秀な子と比較すると家庭環境、勉強などの面で劣っているように見える。
でも、ちーちゃん本人は劣っている、足りないという意識はナツと比べてもそこまで持っていないのではないかと感じた。ゲームが欲しい、お金が欲しいと多少の不満を漏らしつつも楽しく学校生活を送っている以上、ちーちゃん本人は既にある程度満足している状態にあるんじゃないかな…とも思う。
もしかしたら自分には足りないと気づいているのかもしれないが、足るを知る精神なのかなぁ。ナツと比べても悲観的には見えない。
あ~なんと言えばいいんだろう。言葉がまとまらない。
阿部共実氏の「月曜日の友達」も読んでみたが、この人は本当に小学生から中学生になった時の今までになかった違和感を本当にうまく表している。
小学生と中学生って本当に異なるのだ。小学5年生が小学6年生になるのと小学6年生が中学1年生になるのとでは雲泥の差。同じ1年なのに。環境の変化とかクラスメイトの変化とか色々あると思うが、小学生時代に毎日味わっていた馬鹿馬鹿しい明るさは消え、理知的な明るさへと変遷していった。同じ明るさなんだけど、本質は違う。意図とか意味とか無意識に意識するようになって、周囲に同調するようになっていった。
だから、ちーちゃんのように自由奔放でいる人間を大丈夫か(笑)と心配よりも嘲笑に近い形で傍観するのと同時に羨ましくも思えた。
私はたぶんナツに近い性格なんだろうなぁ。心無い優しさというか、対立も厭わずに自分の思ったことをきちんと伝える旭のような優しさは持ち合わせていない感じがする。
色々考えさせられた作品だった。また読み返したらうまく言語化されるのだろうか。
追記1
好きとか欲しいとかストレートに言葉にできる純朴さというか純粋さが眩しすぎるよちーちゃん。
旭と比べるとナツもちーちゃんの家庭環境はよいとは言えないが、超悪いという訳でもないのがね。家庭環境が悪いから自分は仕方ないと開き直ることができればナツは楽なんだろうが、そう簡単には責任転嫁できないのもまた現実。
ちーちゃんはちょっと足りなくても平気だと気づくことができた。だけどナツは足りないを埋めようとするほど足りなさに気づいていく負のループに陥っている気がする。
追記2
ハッピーエンドではないと改めて思う。最終話のラストでナツが「私たちずっと友達だよね?」とちーちゃんに問いかけるシーンがあるが、そこでゾクッとする怖さを感じた。よくある台詞でよくある物語の締め方なのに。
ちーちゃんがいればという一種の依存的な関係でナツは満足したのかなぁ。満足してしまったとも言えるか。長期的に見ればこの終わり方はナツにとってはバッドエンドなんだろうな。