浅倉秋成氏の小説はどうやら私のツボに合っているようだ。
今まで読んだ「俺ではない炎上」や「六人の嘘つきな大学生」などもとても面白いものだった。
そして、今のところ浅倉氏の小説で一番分厚いと思われる「ノワール・レヴナント」を読んだ。昨日の19時頃から読み始めたのだが、まさか深夜1時半まで止まらなくなるとは思わなかった。途中水を飲んだりなどの小休憩はあったものの、スマホなどは殆ど見ず、ほぼノンストップという形で読み終えた。
あらすじなどは角川書店の公式サイトから見てもらうほうが早いだろう。
あまり素人が小説についてあーだこーだ言うのはナンセンスなのだが、この小説のキーマンとなる黒澤皐月の日記から
たとえ、どんなに素晴らしい詩や名言であったとしても、それが誰の目にも触れないのであるとしたら、それは「言葉」ですらなく、まして「記号」ですらなく、まったくの「無」であるのだ。
この言葉を引用してみた。
要するに書いてみろと言っているのではないかと私は捉えた。
また、読書好きな女子高生の三枝のんもゲーテの言葉を引用して
それが魂のほとばしりなら、なぜ言葉を飾るのか
と作中の中で何度かこの言葉を口にしている。
言いたいことを心ではなく口に出せと言われているような気がした。
なので、このまま心の中で、ああとても良い作品だったで終わらせるのは非常にもったいない作品だと個人的には感じたのだ。
レゾン電子という世界的にも有名な電子機器メーカーが裏では子どもを産みにくい人間を作るための製品(飴)を作っており、それを食い止めるために4人の普通の人ではない高校生が集められ奔走するというお話。
ちなみにレゾンの意味はフランス語で「理性」という意味らしい。(コトバンク調べ)
なるほどなぁ。
レゾン電子の社長黒澤孝介の思想は「理性を持って子どもが欲しいという人にのみ子どもは与えられるべき」という思想。繁殖行為は人間の本能であり、一見この思想は正しくないようにも思える。
しかし、私はこの文を書いているときにこのテーマはどこかで考えた気がした。
1年ほど前に少女犯罪という本を読み、感想を書いた。この感想と結構通じるものがあった。
話を戻し、このノワール・レヴナントでは思考というプロセスをとても意識しているように思われる。
少し自分でも書いてみて分からなくなった。しかし、最後は甘めのラブストーリーで終わらせてくれるのが特徴的でもあり魅力的な作品でもある。
フラッガーの方程式も最終的には甘酸っぱいストーリーなのだが、そこに読後の清涼感が味わえるのだ。