福山芳樹「スモーキーマウンテン」

福山芳樹氏のアルバム「YELLOW HOUSE」に収録されている曲「スモーキーマウンテン」

 

YELLOW HOUSE

YELLOW HOUSE

  • アーティスト:福山芳樹
  • 出版社/メーカー: スリーナインエンタテインメント
  • 発売日: 2007/08/22
  • メディア: CD
 

「YELLOW HOUSE」に限らず福山芳樹氏のアルバム、HUMMING BIRDのアルバムは名盤しかないので一通り聴いて欲しい。

さて、5曲目に収録されている「スモーキーマウンテン」だが、アルバムの中でも非常に面白い曲だと思ったので少し感想的な駄文を書いてみることにした。

まず本来の「スモーキーマウンテン」について。

実際に行ったこともないし、凄く詳しいかと言われたら大して詳しくない。

ただフィリピンにあるゴミ山という認識。

とりあえずWikipediaで概要を見てみる。

すると

  • フィリピンマニラ市北方に位置するスラム街のこと
  • 名称の由来は、自然発火したゴミの山から燻る煙が昇るさまから名付けられた

なるほど。この時点で自分の知識とズレが生じていた。ゴミ山というよりはゴミ山がある町と言った方が良さそうだ。

元々海に面していたらしいが1954年に燃えないゴミの投棄場となり、何時しかマニラ市内で出たゴミを捨てる場になったという。

そしてそのゴミの中から廃品回収を行い、日銭を稼ぐウェスト・ピッカー(スカベンジャーとも言うらしいが、差別用語となっているようだ)が住み着き、スラム化した。

ウェスト・ピッカー」という言葉を恥ずかしながら初めて耳にした。

発展途上国だからこそ可能な稼ぎ方とも言える。先進国ではこのような廃棄物は分別などで管理されているため、中々難しいのではないだろうか。

しかし、空き缶回収やダンボール収集などで稼ぐホームレスに近い部分もある。

 

一応基本的な知識を押さえた上で本題に入ろうと思う。

まずこの曲の主人公は「ゴミ」である。決して貶してる訳では無く、物理的なゴミ。

冒頭に「俺はジャマ者なんだって」「サヨナラ東京」という歌詞が。

ここから推測出来るのは東京で捨てられたゴミが別の場所に運ばれている。

しかしここでは別の場所で活躍できる「希望」と「期待」を「パラダイス」「第二の人生 バラ色の予感」といった歌詞で表現している。

同時に自分が過去の産物になっていると知っているのも事実。

「生意気な最新モデル 死ぬまで働けばいいじゃん ごめんね」

この歌詞からだとゴミの立場は型落ちで使われなくなった家電製品というところだろうか。自分を蹴落とした最新家電を妬んでいるのか、あるいは自分が以前にこき使われた環境下に置かれる最新家電を哀れんでいるのか。両方の意味が含まれているのかもしれない。どちらかと言えば前者の方の意味が強いと感じる。

そして、「スモーキーマウンテン」が視界に入る。

「信じられない」「騙されたのか」「これが現実」

「メチャメチャ 参った・・・!」思わず嘆く。やはり使えない物は捨てられる。古い物は新しい物に取り換えられる。

安くて便利な物が溢れる現代でむしろこれは当たり前なのだろう。

 

そして2番の歌詞。

「俺はバラバラにされて」使える部品と使えない部品に分けられたのだろうか。

「仲間さえ見失ってしまった」移動中に出会った同じ境遇の仲間(機械・部品類)達だろうか。

そして百年戦争これが分からない。どういう意図でこの言葉を入れたのか。

百年戦争は1330年から1450年頃。

「サヨナラ東京」という歌詞があるが、東京都が成立したのは1940年代。第二次世界大戦の真っただ中。そして終戦は1945年。

500年もの空白がある。

自分なりに解釈してみると、第二次世界大戦が終わり、戦争で使用された武器などが必要とされなくなりゴミと化した。フィリピンに輸送されているゴミは戦争が終わった事を知らないままスモーキーマウンテンへ・・・といった感じだろうか。

「終わる気配もない」 戦争が100年近く続くと思っていたゴミの考えなのだろうか。

そしてサビ。「可愛いお嬢さん」「気づいてくれた」

これに関しては福山芳樹氏のファンクラブ「福山王国」で以前配布されていた会報誌に綴られていた。

テレビでスモーキーマウンテンで暮らす少女の話を見たと。

作詞家の福山恭子氏(福山芳樹氏の奥様)がここからヒントを得たという。

スモーキーマウンテンに捨てられたゴミは可愛いお嬢さんが拾ってくれるんじゃないかと期待に胸を膨らませた。「チャンス到来」「メチャメチャ 感謝・・・!」

だが、間奏明けの歌詞は「俺の手足は売れたって」「かわいいあの子は笑って言った」

所詮、ゴミはゴミなのだと。使える部分だけ取り外し売られ、本当に使えない部分はそのままスモーキーマウンテンへ。この町で暮らす少女も生きるため、稼ぐためにそのゴミに手を伸ばしただけだったのだ。

そして言葉も「可愛いお嬢さん」から「かわいいあの子」に変化している。

お嬢さんに大した感情を持たなくなってしまったのか。

「第二の人生 捨てたもんじゃない」「のんびり朝まで眠ろう」

達観しているのか。一周回って新たに生きることを放棄したのか。

「宝の山さ」「まだまだいける」

むしろ前向きに考えているのかもしれない。

「これが現実」「メチャメチャ 悟った・・・!」

しかしここで悟りの境地に入ったようだ。現実を直視して考えること、頑張ることを止めてしまったのか。

元々機械?手足があったとのことなのでロボットだったのかな。

そして歌詞には書いていないが、最後に「I found out」と叫んでいる。

見つけたのだろうか、スモーキーマウンテンに自分の居場所を。

その叫びには少しだけ悲しみが宿っているような気がした。

 

こんな感じで駄文を書かせて貰った。参考にする人など殆どいないだろうが、自分の考えを整理することは出来たかな。

この文章を書くにあたって、この記事を参考にさせてもらった。

4travel.jp

この旅行記を見て印象的だったのはスモーキーマウンテンで生活している人々はそれほど辛い表情をしていないという雰囲気があったという話。

会報誌にも綴られていたが、

「幸せは、どこからやってくるのかわからない。貧しいと言われている国の子供達の、美しく輝いている瞳は、人間の生きてゆくことの意味を、探さずにはいられない。」

本当にその通りだと思う。

自分があんな劣悪な環境下で良い表情を保てる自信が全くない。

今の私たちは満たされている。満たされすぎているのかもしれない。

そんなことをふと考えてしまう一曲でした。

この曲を作ってしまう福山夫妻は恐ろしい。きっと様々な分野に精通していて博識がある人達なんだろう。福山芳樹氏のライブには何度も足を運ばせてもらっているが、中々あそこまでフレンドリーなアーティストも珍しい。

ぜひまたこのような社会風刺を込めた曲を作って欲しい。

この曲がリリースされて約12年と半年。

以前として状況は変わらない。むしろ酷くなっている。

日本も新型コロナウイルスやら何やらで危機的な状況に陥っている。

このような荒れ狂う社会において、彼らの思いや叫びがこもった歌が必要なのではないだろうか。